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2019/1/19 sat  
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能勢伊勢雄

忘れられた庭園学 ── こもり水と仙庭

これまで「山のシューレ」で古神道を取りあげ、場所や土地を巡った神業を話し、「神道形態学」として祭祀の庭から国家への歩みまでをご紹介して参りました。その成果として銀塩写真家集団Phenomenaの写真集『フトマニクシロ・ランドスケープ』の刊行に至りました。 この一連のテーマは「祭祀の庭から」始まり、社稷(しゃしょく)を祀り、国土と食料の豊穣の祈念へ繋がります。 神仙から流れ落ちて来た流水がその力を内包したまま「籠り水」として、水田を満たし、水鏡の穏やかさの中で稲が成長する。 この水田の水と庭園の水を同様に「籠り水」と呼び、成長し立ち上がる力を歴代の作庭家は「庭」に籠めて来ました。 一見モダンな装いを持つボタニカルガーデン・アートビオトープ「水庭」は、水田の跡に設えられ、庭園に不可欠な要素である「籠り水」を引いた正統な「庭」として造られています。我が国の庭園学を支えながら、これまで語られてこなかった長谷川正海を媒介にして、立石と臥石、遣水から「こもり水」を生みだす庭の仕組みに触れていきます。

能勢 伊勢雄

1947年生まれ。写真家。前衛映像作家。音楽・美術評論家(批評)。現代美術展企画等。さまざまな表現の交錯する場として、1974年に老舗Live House「PEPPER LAND」を設立。岡山市・倉敷市連携文化事業「スペクタクル能勢伊勢雄 1968-2004」展(企画:那須孝幸)にて、長年にわたる脱領域的、学際的なすべてがはじめて広く紹介された。2009年より銀塩写真技術の継承を目的とした若手写真家集団「phenomena」を設立、主宰。2018年「福武文化賞」受賞。

 

Report

第四回目の講座では、写真家、前衛映像作家、音楽・美術評論家(批評)、現代美術展企画など幅広い活動をされている能勢伊勢雄先生をお招きし、「忘れられた庭園学 ── こもり水と仙庭」と題して、水庭の背景にある忘れ去られた庭園学と、水庭が持つ現代的な意義についてお話頂きました。多くのファンを持つ能勢伊勢雄先生の講座は、今ではすっかりと山のシューレの名物となっています。今回も古代から現代までを縦横無尽に横断する、知の奔流に圧倒されたシューレとなりました。

日本の庭園学を支えた長谷川正海は、古墳・古代祭祀遺跡などに続く、神の依代としての「神籬(ひもろぎ)」を庭の起源と考えました。この庭と国の背後にある祖神と考えられる神籬は、のちに水の思想と繋がり、庭としての姿を作り出していきます。
中国の道教では古くから、水の流れを連綿する書と捉え、それをメッセージとして読むことが行われてきました。また日本でも、沼や水の流れを人体になぞらえて国の姿を考える「身寄代(みくしろ)」としての国土観というものがありました。こうした国土観のなかでは、沼とは生産力や成長力を象徴するものとして考えられていました。中国ではこの沼は、崑崙山中にあり、エネルギーの象徴としての玉を持つ「星宿海」と呼ばれる沼と考えられていました。この沼は多様な植物を育成する水田に近いものであり、この湿原を満たす水が「こもり水」と呼ばれるものです。その意味では、水田や仙庭(仙人の庭)とは、人の手によって星宿海を作り出そうとする試みであったといえるでしょう。
また、波間に浮かぶ浮島としての崑崙山のイメージは、海上に浮かぶ蜃気楼とも重なります。フィンランドでは「天を支える柱」と呼ばれ、「龍王の城」や「地龍」(大地から隆起するように見える蜃気楼)と呼ばれる蜃気楼は、気候風土の違いからか日本では見られる場所は多くありません。そこから、日本では、中国から伝えられた浮島の思想に代わり、虹が立つ場所に庭と市場を作るようになりました。虹が立った場所に石を立てたことが、庭を造る最初の行為となったのです。石を立てることが庭の始まりであることは、「石を立てん事、まづ大旨をこゝろふべき也」という『作庭記』冒頭の一文からも知ることが出来ます。そうした作庭書で石組みの形として紹介されている「逃げ石」「追い石」「芯立て石」などの姿を、水庭に配置されている木々の姿に重ねるならば、石の代わりに立てられた木々と、水田に由来する「こもり水」からなる水庭の姿の背後には、古代から続く庭園観が受け継がれていると言えるのではないでしょうか。

こうした古代の庭園思想から見出だされた水庭の背後に隠されている思想の分析に続けて、能勢先生は水庭が「近代」に対して持つ問いへと論を進めます。

戦前の知識人による対談集『近代の超克』で繰り返し論じられた「近代とは大量殺戮の歴史ではないか」という問いと、それを乗り越える方法を問い続けたにもかかわらず、第二次世界大戦が始まってしまったという無力感は、戦中戦後を通じて、大きな喪失として実感されていくようになります。島崎藤村の『夜明け前』のなかで描かれた、近代における「或るおおもと」(島崎藤村が警鐘を鳴らし、語り部のように伝えた保田與重郎)の喪失の体験や、熊谷元一の『會地村・一農村の写真記録』に描かれた農村の生活風景の激変は、戦後の日本人に大きなショックを与えました。そのなかで保田與重郎らによる日本浪曼派は、日本人が近代化のなかで忘れてしまった「或るおおもと」を、思想やイデオロギーではなく、詩歌のような「心もち」のなかに取り返そうとしました。
こうした「或るおおもと」を喪失した近代の問題に対して痛烈な批判を加えたのが、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」の畳句が響く三島由紀夫の短編小説『英霊の聲』であり、その三島の批判をアートとして再構成したものが「犬島精練所美術館」です。近代産業遺産を利用して生まれた犬島精練所美術館は「在るものを活かし、無いものを創る」(福武総一郎)というコンセプトから生まれた美術館ですが、この思想は水庭の「なにもあたらしいものは使わずに、この場所にあるものをなにもなくさずに、もとの自然にはなかった、新しい自然をつくる」という石上純也さんのコンセプトとも共通しています。つまり、こうした「或るおおもと」の存在を排除せず、そこから新しい場所を作り出そうとする試みには、その過程のなかで何か重要なものを失ってしまった「近代」を相対化しようとする共通する視座が存在しているのです。
このように水庭を考える場合、古代の庭園観を密かに内包する水庭とは、近代化の過程で見失ってしまった「或るおおもと」を私たちに思い出させる装置であると考えることも出来るでしょう。それは近代やそこに生きている私たちの姿を相対化することにより、人間の「主体性」や「自己意識」といった近代の根底にある思想が、実は幻想に過ぎないのではないか、ということに気付かせてくれます。水庭とは、自省なしに進められてきた「近代」の諸問題に対して、改めて私たちに内省と自戒をもたらす場所でもあるのです。

 
第五回|新見 隆
第六回|今福龍太
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