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2018/11/17 sat

小沼純一

水庭(へ)の、ため、ためし(仮題)

水庭には大小の160の池や樹木、石や苔がある。自然はただあるのではなく、外部にいる人間とのかかわりにおいて発見され、鑑賞される。そして当然そこには空間のみならず、時間の変化も介入する。こうした働きはまるで音楽のように感じられる それは武満の音楽論、時間の感覚にも通ずるものである。上記のイメージから自然とコスモロジーという観点からお話いただきます。

小沼 純一

1959年東京生まれ。早稲田大学文学学術院教授。音楽・文芸批評家。音楽を中心にしながら、文学、映画など他分野と音とのかかわりを探る批評を展開する。1998年第8回出光音楽賞(学術・研究部門)受賞。著書に『武満徹 音・ことば・イメージ』、『バカラック、ルグラン、ジョビン 愛すべき音楽家たちの贈り物』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『魅せられた身体 旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代』『映画に耳を』他多数。詩集に『しあわせ』『サイゴンのシド・チャリシー』ほか。

Report

第二回目の講座では、音楽を中心に文学、映画など他分野と音とのかかわりを探る批評活動を展開されている小沼純一先生をお招きし、水庭とその音についてご講演いただきました。

水庭を訪れられた際の印象から、「音楽の庭」など「庭」という言葉がしばしば登場する武満徹の作品についてお話頂いた後、武満が水の音をテープで録音したものを編集して作り出した「水の曲」や、先生ご自身が水庭で録音された各種の音などを鑑賞しました。

フランスで生まれた「ミュージック・コンクレート」と呼ばれる、具体的な音を素材に抽象化し音楽にしていくという作曲方法のように、水庭で聞くことのできる各種の音は、その場所にいることでまるで音楽のように立ち現われ、私たちに聴覚的な刺激を通じて、都会的な生活の中で忘れていた時間のことを気付かせてくれるのではないか、武満が音楽を音による庭として捉えたように、庭もまた音楽のように鑑賞できるのではないか、というお話は、水庭を体験する全く新しい視点を提示する、非常に示唆的なものでした。

私たちは通常視覚を主に庭を観賞しようとしてしまいがちですが、実は聴覚や触覚など、様々な感覚を通じて、そこからも大きな影響を受けているのではないでしょうか。

小沼先生のお話を伺うことで、より一層水庭の持つ魅力に気付くことができたように感じられました。

 第三回|港 千尋 
第四回|能勢伊勢雄
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