2024年10月9日(水)、能勢伊勢雄氏が1974年開業、50周年を迎えられた岡山PEPPERLANDにて、50周年特別企画の一つとして山のシューレを振り返るトークイベントが開催されました。能勢伊勢雄氏、2014年「聖なる場所の力」のテーマでご参加いただいたハナムラチカヒロ氏そして総合プロデューサーの北山実優が加わり、山のシューレの10年間を振りかえりました。 その時の様子をPEPPERLANDの年間誌に掲載くださいましたのでぜひご覧ください。
「山のシューレ」の10年間を振り返る
2024.10.9 at PEPPERLAND
鼎談:北山実優+ハナムラチカヒロ+能勢伊勢雄
リゾートホテルの「ミシュランガイド」とも称されるInternational Traveler誌「Best 100 Hotels」に、日本のホテルとして唯一選出された「二期倶楽部」(現nikissimo)の社長を招き、文化事業として開催されたサマー・オープン・カレッジ「山のシューレ」について語るイベントが行われた。その全貌が、北山実優氏とハナムラ・チカヒロ氏を交え、多角的に紹介された。


PEPPERLAND 50周年に寄せて
北山実優
(株)nikissimo 代表取締役・「山のシューレ」総合プロデューサー・(株)ランゲージ・ティーチング・レボリューションズ 取締役
能勢さんとの出会いは、東京・千鳥ヶ淵にあるギャラリー「冊」です。このギャラリーは、母のガラスコレクションの展示を行っていた二番町のギャラリーを、2005年に千鳥ヶ淵へ移し、リニューアルオープンしたものです。そこで企画したシュタイナーの勉強会で、武蔵野美術大学の新見隆先生にご紹介いただきました。
初めてお会いした際、能勢さんの圧倒的な知識量に驚かされ、「すごい!!生きる広辞苑みたい!」とお伝えしたことを覚えています。その後、早速に、たくさんのご著書を贈ってくださいました。その中には、文字が非常に小さく書かれているため拡大鏡が付属している特別な本もあり(!)、驚きつつも感謝の気持ちでいっぱいでした。cそんなご縁を経て、能勢さんに那須高原山麓横沢での「山のシューレ」に毎年ご参加いただくことになりました。山のシューレは、二期倶楽部の文化事業として2008年から13年間にわたり開催してきたサマー・オープン・カレッジです。
以下は、能勢さんが山のシューレで行われた講座です:
• 2009年 映画『共同性の地平を求めて』上映+レクチャー「人類の救いとしての共同性―岡山大学紛争が現代に投げかけた問い」
• 2010年 「音楽表現とポピュラリティ」湯川れい子✕能勢伊勢雄
• 2011年 レクチャー「ゲーテ色彩論とその広がり」
• 2012年 レクチャー「ゲーテ形態学が教えるかたちの神秘」
2013年 レクチャー「ゲーテ色彩論・形態学と相似象の科学」
• 2014年 レクチャー「古神道は何を行ってきたのか? ── 場所や土地を巡った神業について」
• 2015年 シンポジウム「神道形態学とランドスケープ」
• 2016年 シンポジウム「近代医学の源流から統合的生命学へ」
• 2017年 オープニングシンポジウム「芸術・社会・生命 ─ 社会共創とコミュニティの新たなヴィジョン」+レクチャー「T.A.Z.(一時的自律領域)を生きて」
• 2019年 レクチャー「忘れられた庭園学 ─ こもり水と仙庭」
10年を経る中で、能勢さんの講座は目玉講座として大人気となりました。
毎回、山のシューレ用に丁寧に再編集されたテキストを片手に、貴重なレクチャーをしてくださいました。そのアーカイブは、私たちにとても大切な知的財産として今も残されています。
那須高原、千鳥ヶ淵、岡山と、遠距離を行き来しながら、10年以上にわたってご一緒させていただいた能勢さんは、ライブハウスのオーナーであると同時に、時代を牽引する思想家であり、私にとっては、未来への教育者でもあります。
日本では真の学びの場を、“身交う(むかう)”と表現されます。心を開き、人との交流を通じて学びを深めてこそ、真の知へと至るー
この“対話哲学”を、能勢さんは、実践を通して私に教えてくださいました。
能勢さん、そして能勢ファミリーが築いてきたPEPPERLANDは日本を代表するライブハウスとして歴史に深く刻まれています。そして、次世代である遊神さんへと引き継がれています。これからも、世界へ文化知を発信し続けください!!
改めて50周年を心からお祝いするとともに、お身体にお気をつけて、ますますのご発展をお祈り申し上げます。
扉の先に開かれた世界
黒川しのぶ
踊るデザイナー・岡山県立大学コーディネーター
ある日、偶然目に飛び込んできたフライヤーのビジュアルに漠然とした憧れを抱き、何かに導かれるように、『鼎談「山のシューレ」の10年間を振り返る』の会場へと赴く。大学生の頃、通学時に幾度となく前を通り過ぎていたPEPPERLANDだったが、その建物の中は未知の世界。独特の雰囲気を放つこの場所を、「自分には縁のないところ」と思い込んでいた。この日、たくさんのフライヤーを纏った重い扉を開ける瞬間は、とてもワクワクした。ライブスタジオらしい黒を基調とした空間は心地よい広さで、ステージ奥に設置されたスクリーンには大きくロゴが配され、PEPPERLANDが今年50周年であることを改めて認識する。
「山のシューレ」は「山の学校」を意味し、栃木県那須山麓の横沢に、哲学、経済学、生物学、文学、デザイン、建築学、音楽、日本学など各分野の最高峰の有識者が招集され、参加者と領域を超えて交差し語り合い、思想を深めあう場として2008年から2019年まで開催された。そして2009年から最終年までの毎年、能勢伊勢雄氏が講師として関わっていた経緯から、「山のシューレ」を立ち上げた北山実優氏、2014年にオープニングシンポジウムに登壇されたハナムラチカヒロ氏とともに10年間を振り返る鼎談が繰り広げられた。
北山氏より「山のシューレ」の開催に至るまでの道のりとして外せない、文化リゾートホテルの二期倶楽部や、アートビオトープ那須が紹介される。数々の文化事業の歴史を辿る中で、石上純也氏の手がけた「水庭」の写真に惹きつけられる。フライヤーに抱いた漠然とした憧れの先は、この「水庭」の写真だったのかもしれない。元は水田だった土地に、160の池と、丁寧に移植された318の樹木で構成された「水庭」の佇まいは、それほど神々しさを放っていた。能勢氏から、庭の起源やその在り方に関して古来から続く庭園観、そして中国やフィンランドなどの由来となる場所や現象等が説明され、各々の繋がりや根拠が鮮やかに語られた。そして話は、日本人が近代化の中で忘れてしまった「或るおおもと」へと及ぶ。それは島崎藤村が歴史小説『夜明け前』に込め、保田與重郎らが詩歌をもって伝えようとした日本人の精神であると解釈した。京都にある「身余堂」を拠点に「或るおおもと」の喪失について議論を交わす中には三島由紀夫もおり、その思いは短編小説『英霊の聲』に託された。そして能勢氏より、この『英霊の聲』がアートとして昇華された犬島精練所美術館内の文字群が紹介される。それは公益財団法人福武財団名誉理事長の福武総一郎氏が、瀬戸内海での文化活動のコンセプトとしていた「在るものを活かし、無いものを創る」という考え方と、石上氏が掲げた「もとからある要素を何もなくさずに、何も足すことなく新しい自然をつくり出す」というテーマとが重なるということを示唆するためである。「水庭」は、近代化の中で失ってしまった「或るおおもと」を思い出させるトリガーになり得るのかもしれない。「水庭」に無意識に反応した自分の中に、こうした日本人の精神が少しでも息づいていてほしいと期待した。
終盤、フライヤーに掲載されたワードに対する質疑に応える形で、ハナムラ氏が、「モンテ・ヴェリタ」、「エラノス会議」等について触れた。フライヤーには、こう記されている。『スイスのアスコーナにある聖なる山、「モンテ・ヴェリタ」では、心理学者カール・ユングや作家ヘルマン・ヘッセなどが集まり、「近代」が生んだ矛盾を乗り越えるために文化交流が行われました。その伝統は、オルガ・フレーべ・カプタインによって設立された「エラノス会議」へと受け継がれ、世界中の叡智が集う場所となりました。』
今回の鼎談に参加して、かつて「自分には縁のないところ」と思い込んでいたPEPPERLANDが、音楽に限らず、あらゆる分野を横断する場として50年間、脈々と運営されてきたことを理解した。混沌とした時代において、物事の本質を失うことなく、対話し、文化交流を重ねることの重要性を学んだ会だった。
「山のシューレの10年を振り返る」への感想を書く
川元梨奈
美學校岡山校講師
山のシューレを訪れたのは一度きり。たった1日だけのことだ。美學校に通っていたころに、能勢さんとフェノメナの皆さんが参加されていたので、出かけていったのだった。岡山から那須塩原はなかなか遠い。深夜バスと、電車と、さらにバスを乗り継いでたどり着いたのは、私にはちょっと敷居の高い場所だった。どう言えばいいかわからないが、高次元の場所、神聖な場所、という感じがした。低所得、低学歴、俗と酒にまみれて襤褸をまとった私のような人間が足を踏み入れても大丈夫か…?とすら思った。はっきり言って超緊張した。そこにぎらついた成金趣味のひとつでも配置されていたら持ち前の反抗期精神がざわついて、ヨシ、乗り込んでやろう、という気にもなれたかもしれない。でも全てが調和しているその場所は、嫉妬心すら起きないほどに、静謐で美しかった。
あれから6年が経った。まだ夏の光がしつこく居座る10月のある日、ペパーランド50周年イベントのひとつである「山のシューレの10年を振り返る」に足を運ぶ。どんなイベントだったかは、おそらく他の方も書かれているだろうから割愛する。もし書かれてなかったとしたら、登壇者でもあるハナムラさんのフェイスブックを読んでくださるといい。短いながらも分かりやすく、イベントの全容がまとめられていて、しかも読みごたえがある。私の年末パンフの文章はつたない感想文になってしまうことをお許しいただきたい。
“振り返る”というほど私は山のシューレの全容を知らない。ほとんどゼロ知識で挑むイベントだ。でも能勢さんと二期リゾートの北山実優さん、ハナムラチカヒロさんが登壇されるというだけでも面白い話が聞けそうだった。ハナムラさんと能勢さんのお話はいろんな場所で拝聴している。ハナムラさんの理路整然としていてそこはかとなく明るい語り口が好きだ。能勢さんとハナムラさんの対談には生きることへの希望を肯定を感じる。北山さんがどんな人なのか知らなかったが、お母様の書かれた本は読んだことがある。北山ひとみさんは本当の意味での健全な精神をお持ちの方なんだろうと想像する。娘さんである実優さんにもその精神は受け継がれているのだな、と初めてお話を伺いながら思った。
あの場所がペパーランドの薄暗い闇の中に立ち上がる。ペパーランドと、二期リゾートは全然似てない場所のようだが本質的には似ていて、深い包容力がある。秩序と無秩序にみえる混沌が星のような軌道でめぐっている。あの時超緊張した私ですら包み込んでくれたあの場所は伊達や酔狂で創られた場所ではなかったのだろう。能勢さんの穏やかに見えて実は超過激なトークもすんなり受け入れられていたことも思い出す。対談者の先生がびっくりされて言いよどんでいたことも。あれはちょっと面白かった。我ながら性格が悪いと思うのだが、立派な肩書きでご活躍も注目もされている方々が、あさってから飛んでくる球を受けきれずに苦し紛れで回答されているところを見るとわくわくする。予定調和から話が逸れてくるとよけいにうれしくなる。それこそが対談の醍醐味だとすら思っている。
能勢さんと対談するという事は、予定調和で終わるはずがない、という事をきっとハナムラさんや北山さんはご存じなのだろう。能勢さんとの対談をあんなふうに楽しんで乗りこなせる登壇者のお二人の知識や経験の量と思考の量はやはり半端ではない。お二人の生まれ持った資質もあるのかもしれない。ハナムラさんは対談前にとても緊張されていたが、そんな緊張など全く感じなかった。ハナムラさんは本番に強い。私とそんなに歳も違わないのに、スポットライトを浴びながら能勢さんの投げてくる言葉を受け止めて投げ返すその姿はまぶしかった。
とても居心地の良い時間だった。北山ひとみさんと実優さんの歩いてきた道、これからの道。それは大げさかもしれないが日本と言う場所を照らしていくのだろうと思う。ハナムラさんの知性もまた。そして能勢さんはずっと導いて見守ってくださるのだろう。私は私の身体を通してしか感じられないし、感じたことしか言えない。でも希望を感じられる時間や場所にたくさん出会っていきたいと心から思っている。
「人分けの小道」
犬養佳子
Rrose selavy/celine・yoromeki
“栃木県那須高原は関東の北限そして東北の南限にあたる北方系植物と南方系植物とが混在するユニークな地域でこの地は多くの植物が育つ豊かな自然の宝庫なのです"これは1986年にホテルの機能と旅館の温かいおもてなしを持ち合わせた"第3の宿泊施設"をコンセプトとして「二期倶楽部」を立ち上げた北山ひとみさん(今回の鼎談者北山実優さんのお母さん)の本からの抜粋です。本物だけが持つ圧倒的な力を信じて決断した結果、本館の客室は6室からのスタートだったそうです。豊かな自然の力を持つ土地でおそらく(宿泊したことはないのですが)目の届かないところまで人の技と知恵が集結したしつらえの部屋と建築物に一流のホスピタリティと自然の力がみなぎる旬の食材でのおもてなしが顧客数を増やし新しい趣向の施設も次々と増設し"カルチャーリゾート"としての存在の確立、そしてさらに2008年からは20周年の記念に何か文化事業を、として豊かな自然の中で学びをおこしたいと(主催者の北山実優さん)が立ち上げられた「山のシューレ」は毎年夏頃に総監修者のもと各分野の最高峰の識者のレクチャー、ディスカッション、交流などを通して人間の叡智につながっていく場としてその内の10年間能勢伊勢雄さんも携わってこられた体験と2014年に「聖なる場所の力」というテーマで植島啓司さんとレクチャーされたハナムラチカヒロさんとそして主催者北山実優さんの鼎談がペパーランド50周年記念イベントの一つとして行われた。以前から能勢伊勢雄さんには「山のシューレ」でのレクチャーを紹介していただいていたけど遠隔地だし行くきっかけがつかめなかったのですが2014年車を買い換えたのでこれは新車ドライブも兼ねてと那須まで車を走らせた。その時の能勢伊勢雄さんのテーマは「古神道は何を行なって来たのか?-場所や土地を巡った神業について」をバンド&人生のパートナー田中恵一氏と参加したこともあり(2014の年末パンフレットにも感想を書いた!)鼎談の内容と自分の体験した二期倶楽部での「山のシューレ」の感覚が蘇った。当時前日の夜の大雨から打って変わりレクチャー当日の朝の雨に洗われた木々の緑の清々しさは忘れがたく澄みきった空気感のなかで学びに向き合う時間を新鮮に思い出す。「山のシューレ」には自然の中にいてゆっくりと自分というか自分を超えた人間が持っている叡智に素直にふれる事のできる場としての力があると思う。それは主催者の北山実優さんのご両親が人の教育ということをとても大切に捉えられていたと言われていた事と人が生きていく共同体としての社会の近代化はどんな時代でも矛盾と疑問を孕んでいて、それを人間の叡智と照らし合わせより幸せに生きたいという人として当たり前の想いが"学び"への垣根を超えた想いとして熟成されてきたのだろうか。能勢伊勢雄さんがこの鼎談のパンフレットにも書いてあったように19世紀後半に始まった「モンテ・ヴェリタ」の伝統を継いで1933年からの「エラノス会議」へと叡智の歴史的系譜を受け継ぎ現代に甦らせたのが「山のシューレ」と位置付けるのはこの3人の方々が語る内容を聴くとその学びの本質の感動が伝わってきてかけがえのない、代え難い場が存在してることを確信する。また2018年には新たな文化事業として建築家・石上純也氏を起用して昔あった土地の性質を再生し160の池と360本の木を作庭した"水庭"が完成したという。プロデュースされた北山実優さんは「山のシューレ」で考えてきたことをさらに皆が思考を深められるような庭にしたいと言われていた。なんという壮大なスケール‼‼‼本当に小柄で可愛らしい女性のこの強い意志とエネルギーは本当にすごい‼‼これも自然の叡智と人間の叡智が交わるなかで突き動かされるように展開されたことなのだろうか。
この”水庭"の起源についても能勢伊勢雄さんの話は深く拡げられたがここではまとめる力不足なので書くことはできないのですがその話の流れの中で出てきたことで印象深かったことは「日本は"型"を伝えている。"型"の中に受け止める人達の生きている感性が機能する。それに関わる人間の感性で常に新しい何かを生んでいく(更新していく)。西洋は前にあったものを否定し新しいものを作っていく。型を受け継いでいくという事は個人は重要ではなく自分はワンパーツでしかない。自然の中で人の果たす役割とは何か?こういうことを考える素地日本人にはあると思う、元々あったものを取り戻すという感覚」。
また完成した"水庭"の夜を体験したハナムラチカヒロさんが言われていた事は「夜の水庭に入るとカエルの猛烈な鳴声のなか、自我、全体性を失うほど自己を忘れてしまう。大きなものの中で生かされているような感覚、人間の主体性とか自己認識といった近代の根底にある思想が実は幻想に過ぎないのではないかと気づかせてくれる」このお二人の発言に共通する感覚を感じる古来より自然と共にあった日本人の感覚、これも能勢伊勢雄さんが提唱されているArchaïque modernismに繋がっていくように思う。この感覚を今の足踏みしている何かに繋げて打破、展開していくヒントを見つけることができたら時間を生きるのではなく叡智をなぞらえて生きているといえるのではないか。そして、そのような「山のシューレ」に対する能勢伊勢雄さんの気持ちは、自分を育ててもらった場所にいつわりはなく、錚々たる人たちと時間も関係なく直に話をしていけたこと、本当に育てていただいた。ハナムラチカヒロさんは現代に生まれた聖地。そこがあることによって日常に戻って行ける場所。北山実優さんは未来に向けた共同体。このような場所に想いを馳せ何もないところから創りあげていった北山実優さんのお母さんの北山ひとみさんの著書『人わけの小道』というタイトルは能勢伊勢雄さんが言われた言葉からだそうで「人のいないところを生きるために小さい小道を作っていくそれが生きるということ」「日々の生活、その人の立ち振る舞いや暮らしぶりの中からいつしか道が出来上がっているという古神道の言葉”人分けの道”」に由来しますと本の裏表紙にもかいてありました。
ちなみに表紙や本の中にも能勢伊勢雄さんの写真が使われていてそれを見るだけでも自然のリアルが迫ってきます。
ペパーランド50周年おめでとうございます!
間の場づくりの可能性、自然との邂逅ー「鼎談「山のシューレ」の10年間を振り返る」をお聞きして感じたこと
成田海波
ラウンジ・カド
アートビオトープを運営し那須で「山のシューレ」を成功に導いてきた北山美優さんの経験とそのビジョンは必見ですと能勢さんにお誘いいただき、北山美優氏、ハナムラチカヒロ氏、能勢伊勢雄氏の鼎談を聞きにペパーランドへ向かった。「山のシューレ」のお話は能勢さんから度々お聞きしていて、こんなに素晴らしい空間や時間、人の集いをどのようにしてつくっていったのか、その実体を知りたいと思っていたため、またとない機会となった。岡山、そしてペパーランドでお話を聞けることの貴重さを噛み締めながらお一人ずつの発話やお三方の対話に耳を傾けてゆく。「山のシューレ」は自然の叡智を借りながら共に学ぶ、生きるための問いや実践を大切にしている活動体のようなものだと感じた。トップダウンのマネジメントによるものではなく運営するスタッフとの日々の対話を大事にしているようすが伝わってくる。スタッフとの関係性や、ゲストスピーカーの方々のつながり、那須の地域の方々との協働、その全てを対等に尊重しておられることが感じられた。(ガーデナーの方が今も現地に残り、お庭や水庭をお世話しているお話も印象的だった。)それぞれの人間が持つ知性が時間をかけて重なり合い、ひとつの問いに向かって応答し合うことで独自の全体観が想像される。文化を求心力とする組織をマネジメントする、ということの本質が見えてきた。モンテ・ヴェリタのエラノス会議やブラック・マウンテン・カレッジのような芸術的共同体の系譜に位置するアートビオトープや山のシューレには、機能や役割で分けることのできない有機的なつながりが存在しており、自然への邂逅や知を育む人々の間の関係性によって生まれる感性や情緒がとても大事にされている。そのことに私はとても感銘を受けた。都市の中心部ではなく、里山の自然の中で培われている知性があるということにも希望を感じた。近代的な知性を乗り越える動きは、近代以前の前の地層の記憶を呼び覚ますことができる日本の里山から生まれてくるのではないか。北山美優氏のお話や、北山ひとみ氏が書かれた「人分けの小道」を読み、教育の事業に長年携われた上でホスピタリティとは何かという問いに真摯に挑み続けた北山ひとみ氏、美優氏の経験、理念、ビジョンを理解し、私自身も場づくりに対するまなざしやビジョンを再考し、深めるための時間をいただいたように思う。「学んだことを各事業に関係づけて体系化していく、そんな営みが経営であるとすれば、100人の経営者には、100通りの創造に至る道が用意されているのではないでしょうか」(「人分けの小道」より引用)という北山ひとみ氏の言葉からは、ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」の概念を連想した。自己表現を超え、自らの未来、私たちの未来のために長期的な視野を持って営みを創造する経営者が多くいることが、集合的知性や意識の醸成を促し、社会を再構築する運動体を生成していくのではないかと思う。
私たちは近代の工業化社会を経て、営みの中にあった「自然と共生する力」を失っており、取り戻せない所まで急速に歩みを進めてしまっていることに気づかねばならない。能勢氏が「自然の中で私たちが果たすべき役割は何か?自分たちの中にあるはず、それを再点検すべき」と語った言葉が今も警鐘のことばとして胸に響いている。「山のシューレ」の知が結実した「水庭」をより深く理解するために、沼や水の流れを人体になぞらえて国の姿を考える(生命体としての神霊が宿る土に変える)「身寄代」という国土観のことや、型を保持していく継承の芸術、立石と虹の関係、浮島現象などを能勢氏からご説明いただきながら、この50周年の大きなテーマである「アルカイック・モダニズム」について思いを巡らす。12月初旬に能登半島に3日ほど滞在した。初めて訪れた能登半島は、1日に天気が目まぐるしく変わり、雹や雨が降ったと思えば雲間から光が差し込み、田畑や湿地がきらめき、虹が立つ。自然現象に対して何度も心を動かされた。5月には何十年ぶりかのオーロラ発生や普段発生しない場所に蜃気楼が見られたようだ。地元の方のお話からは野や花や山河、飛来する渡り鳥、田の神様のお祭りのお話など、自然へのまなざしが深く感じられ、元々は災害の状態や復興の具合が気になって出かけたが、それ以上に自然と人間の共生について学びがあった。自然と共にある営みや暮らしの中にある「型」をどう継承していくべきなのか、刻々と失われていく自然と共にあった営みの記憶をどのように残し自分たちが叡智として取り入れていくことができるのか。自分の体を自然にシンクロさせながら、自然と共にある時間感覚や空間の捉え方を獲得し、感性を研いでいきたいと思う。