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2009.08.19 山のシューレ2009を終えて
「夏の一角獣に―『五感のユートピア』を求めて」新見 隆

夏の一角獣に
 ―「五感のユートピア」を求めて

 
2009imagem8.jpg

私どもは、畢竟、夏の一角獣なのだ。

 夏は、生の盛りであり、その猛り立つ灼熱に浮かされながら、私どもは皆、幻の一角獣を見る。
 否、夏の幻眩のなかで、人はいつの間にか、一角獣になってしまった自分自身に、ある時ふと気づくのではなかろうか。
 あらゆるかたちで、そしてどんなかたちでさえ、もし夏の力が再び甦れば、人はそれだけで生きていけるものだ。
 夏は幻であり、そしてその幻は私どもの肉体を超えて、永久に生きる奇獣、キマイラだから。
 
 あの一角獣は、陶然とした眼で貴婦人を見やりながら、自らも森の草草や花、鳥たちや栗鼠や鹿に囲まれて、そして世界に見守られて森羅万象と同じ呼吸をしながら、宇宙万物と響き合っているのである。
 十九世紀の詩人、近代を開いたかのフランス象徴派の領宰ボードレールなら、さしずめ、「万物照応=コレスポンダンス」とのたまうところだろう。

 七月末から始まった五日間の「山のシューレ」の最中、ずっと私は、パリのカルチエ・ラタンの一角に佇むクリュニー美術館、元のクリュニー修道院、現在の国立中世美術館の、奥まった最後の一室に鎮座する至宝、あの六枚の巨大なタピスリーの、六番目のものの前にある、小さな光の場所に、思いはつねに向いていた。
 
 「一角獣の貴婦人」と通称されるタピスリーは六枚あって、いずれも、貴婦人がこの幻の奇獣を従えながら、五感の快楽、すなわち、見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、そして触ることの、それぞれを教え、あるいは与える構図がとられている。
 フランドルを封じた貴族領主が、そこに何を込めようとしたかは定かでないが、それは中世末期に広がる、未知の世界への期待と、そこで繰り広げられる人間の知覚の拡大への再認識があったにちがいはなかろう。
 そこにはまた、不安な時代である今日に通底するような、十九世紀から続く、ロマン派的彷徨、魂の故郷を求める旅=文化の探求の原型が、早くも遠くに谺しているような気がして、私にはならないのである。

2009image9.jpg 五感のタピスリーを従え、それらを睥睨するように、またあるいは、それら現実界の諸快楽とは隔絶され、孤愁に閉じ籠るかのように、あの「私のただひとつの望みに」と題された六枚目の謎のタピスリーは、ただひっそりと佇む。
 それはあたかも、古代の女王の朽ち果てた棺のように。
 
 謎というのは、おそらくは、「見える」五感が結ばれる「見えない」地点、それらが相互に連鎖、連携しつつ生動する渦=ダイナミズムとなった、至高の磁場いがいのものではないだろう。 

「言葉・身体・環境」という壮大なテーマで、私どもは、二回目の那須「山のシューレ」に集った。
 それは「五感のユートピア」を目指す、運動ではない運動であり、主義主張、年齢、職業、性差、国籍、あらゆる規制の境域を超えた、新たな共鳴共感のコミューン、学びの共同体だった。
 その熱狂と情熱、まさに「ロマン主義的実践の夏」は過ぎて、今ひとり一人は、那須のコミューンから離れて、それぞれの、日常に還った。
 これから、それを消化し、省察し、観想するような、秋の庭がまた、私どもには必要になってくるだろう。

 世紀末ドイツの詩人リルケが、あの十五世紀フランドルの豪奢きわまりないタピスリーに、見たもの。
 それは、些細で細やかな日常の時間の一筋ひとすじを驚異として発見し、丁寧に拾いあげ、そしてそれらがやがて、途方もなく成長する一本の樹の始まり、その胎動であることを、心と身体の底から知ることだった。(註)
 リルケの内なる声が、その種子となるべき、智と愛と霊の熟成を凝視していたように、私どももまた、秋を通して、その種を大切に育てたいと思う。

 オスカー・シュレンマーの宇宙的身体観について、素晴らしい基調講演をやってくれた、孫のラマン・シュレンマー氏が手づから携えてくれた、松島の野性蘭の苗を、私の妻はちょうど、自宅の小さな庭の片隅に植えたところだ。

 あの苛烈な『イエスの生涯』の著者、二十世紀フランスを代表する小説家モーリヤックは、ローマ教皇を頂点とするカトリックの世俗的教会制度を、「見えない教会」と呼ぶことで、そこに本来内在する、キリストを中心とした、もうひとつの「霊的組織」の姿に、再び押し戻した。
 それに倣って私もまた、「山のシューレ」こそを、あらゆる世俗的関係を超えた、「見えない、学びのコミューン」の実践と呼びたいと思う。
 人生という、大きな旅の途上にある私ども一人ひとりがまた、この「見えない絆」で結ばれんことを。
 最後に、詩を。


2009image10.jpg夏の揚羽に

彼岸がすぎて、早朝涼しい雨の降った朝、
わたしは、自転車で学校に急ぐかたわら、
一頭の、小さな揚羽蝶に出会った。
紅いろの班が、彼女の遠い血族を、わたしにも密かに知らせた。

彼女は、舗装された道路のかたすみで、
倒れて横になりながら、それでも、少しく触覚を動かし、
羽をゆるやかに、はためかせていた。

朝から吹いていた風のせいかもしれなかった。
彼女は、すでに死に絶えていたのかもしれぬ。
けれど私には、彼女の静かな眼差し、
そのいまにも閉じられようとする、
世界への別離の澄んだ透明な漆黒、
そして自らの死へ頷こうとする、彼女のこうべが、
退いていくのが、見えた。

ああ、夏の揚羽よ。
高らかに猛る風を飛んで、
蜜に走り、オリュンポスの女神のように羽ばたいていた、
おまえの夏に、眠れ。

その大いなる宇宙の羽をわたしに残し、
おまえだけの、永遠の夏に、眠れ。

エレクトラの羽衣よ。
もう、世界へと、自分じしんへと、けっして怒り給うな。
わたしらは、ただ、わたしらの秋を生きるから。
おまえはおまえだけの、
冷たい、心地よい、夏の大地へ眠れ。



(註)変化し変容する驚異、というのは、畏敬する遠山一行さんのモーツァルト論から学んで、借りたもの。

 
新見 隆
(武蔵野美術大学芸術文化学科教授 二期リゾート文化顧問)








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